THE Ordinary

「本日のお天気は心地よい晴れ間が続くでしょう」

もはや朝のBGMとなりつつあるTVのニュース番組の音声が部屋中に響き渡る。

毎朝寸分の誤差もなく決まった時間に流れるこのフレーズが、家を出るまでのタイムリミットを私に知らせる。昨日のうちに用意しておいたシャツに袖を通し、パンツのベルトを締める。

変わらずに流れるBGMは既に天気予報のコーナーでなく、別の話をしている。

「本日は制服の選択制を取り入れたという、ある県内公立高校にお邪魔しています」

キャスターの歯切れの良い高い声が、明るい和かな表情で話している女性の姿を連想させる。

 

「わざわざ全国ネットのニュースにするようなことなのかな」

まだ朝食を食べている途中の同居人が、ボソッと呟いた。私に話かけているのか、

はたまた独り言なのか、どちらかわからないくらいの声量とテンションで。

「いいんじゃない?ネガティブなことでもないし。世間からすれば私たちが思っているほど普通のことではないんだよ、きっと」

私はなんとなく答えた。

「そっかー」

どうでも良さそうな返事。やはり独り言であったようだ。

着替えを終えた私は洗面所に向かい、歯磨きを済ませ顔を洗う。適当なスキンケアを済ませ、化粧をする。

ありがたいことに、今の職場は必ずしも化粧をしろだとか、時代錯誤な女性に対する固定観念を押し付けてくるような職場ではない。しかし、私はただ単純に化粧をすることが好きでやっている。月並みな理由ではあるが、シンプルに自分の気分を上げるために。どうせなら綺麗でありたい。ただそれだけ。

「行ってきまーす」

リビングに戻らず、洗面所から直接玄関に向かう途中で今日一番の大声を出す。

時間ギリギリというわけではないが、一度リビングに戻ってしまうと、ついだらけてしまいそうな気持ちになるからだ。これが平日の朝、私の習慣。

「行ってらっしゃい。気をつけてね」

「はーい」

靴を履きながら背中の方から聞こえる声に答える。

「あ、そうだ今日休みだから夕飯は用意しておくよー。帰りの時間わかったら連絡してね」

「分かった、ありがとう。適当なお惣菜とかでいいからね、行ってきます」

玄関を開けると部屋の照明とは違う種類の、もっと眩しい朝の光が私の視界を一瞬眩ませた。

夜中に雨が降っていたようで、駅までの道路が濡れている。

所々にある水溜りは、朝日に照らされて水面をキラキラと輝かせている。

そのうちに小さな女神さまでも出てきそうだ。登校途中の小学生達がわざと水溜りの上を通って、水しぶきを上げて騒いでいる。世間はよく「子供は天使だ」なんてよく言うが、私にはその姿はまるで女神さまの住む静かな湖を侵略してきた悪魔のように思えた。その光景がなんだか少しおかしくて、心の中で小笑いをした。

駅が見えてくると、どこからともなく湧いて出てきたような人々が駅に吸い込まれるように集まってくる。

複数の路線の中継地であるこの駅は、この辺りの主要駅となっていて特に利用する人が多いのだ。毎朝見るこの光景は、道に落としたキャンディーにゾロゾロと集まってくる蟻の大群を思わせる。私もその蟻の一匹であることは間違い無いのだが。

改札をくぐり、駅のホームへの階段を上り切った頃には次の電車が既に待機していた。通勤時間帯だけの特別快速だ。停車駅が主要駅のみで、各駅停車よりもずっと早い時間で着く特別快速は、平日の朝は異様なほどの乗車率である。今日も電車の扉から半身がはみ出した乗客を駅員が全体重をかけて詰め込んでいる。

私の職場はこれらの停車駅には止まらないため、次の各駅停車を利用する。

「扉が閉まります、ご注意ください」

ホームにアナウンスがかかり、扉が閉まる。何度か扉がつっかえたが、無事に乗客を閉じ込めることに成功したようだ。電車の窓ガラスから見える乗客には1mmの行き場もない。

着ている服はあっちこっちに歪んでいて、四角く切り取られたその窓ガラスが額縁の役割を果たし、前衛的なアートのようだ。毎朝鉄の塊に押し込められ、ビシッと決めた服もグニャングニャンに歪んで、その次の電車も同様に詰められるだけ詰め込む。

この流れ作業はまるで腸詰のソーセージを作っているかのようだ。

だが、これが世間がよくいう“普通に働く”と言うことなのであろう。どうでもいいことを考えている間に、次の各駅停車がホームに停車していた。空いているわけでは無いが、目的地までの乗客分の酸素はありそうだ。これで今日も私は普通に生きられる。窓のすぐ前に立ち、大体80kmほどで流れていく外の景色を見ていると、あっという間に降車駅に着いたので私はいつものように職場まで歩き始めた。

「おはようございます」

「あ、おはよう。今日も早いね〜」

「先輩こそいつも一番に出勤されてるじゃないですか」

「まあ確かにそうだね」

お互いにとってたわいもない会話を適当に済ませて自分のデスクに座る。

私はこの先輩にはとても好感が持てる。常に周囲の士気を上げるように努めているし、何よりも他人に深く突っ込んだような発言をしないからだ。しかし、皆がそれをよく思うようではないようだ。他人に必要以上に干渉しないその態度が逆に「何を考えているか分からないから怖い」などという印象を与えているらしい。多くの人が集まると、そういった反乱分子のような、不穏な空気の種を撒き始める人間も一定数存在する。仕事とプライベート、その分別をしっかりと分けていることは立派なことではないのだろうか。表も裏も、左右の面も、360度、全て曝け出して仕事をする人間の方がよっぽど珍しいと私は思う。見えない部分や理解できない部分があるのが、良くも悪くも人間という生き物であり、それらをうまく使い分けている人こそ社会的であり、普通であると私は思う。

「そうだ。明日オフィス周りの草刈りを業者さんに依頼してあるので対応よろしくね」

「了解でーす」

パーテーションで仕切られたどこかのデスクからやりとりが聞こえた。

落胆するほどでもないが、なんだか残念だ。

摩天楼のようなビルに囲まれ、堅い殻のようにコンクリートが敷き詰められた地面にも負けない生命力で生えている植物には、たまに元気付けられる時がある。毎日見かけるオフィスの周りに生い茂っている草々は、多くの人は雑草と呼ぶが私にとってはそうではない。今朝は、昨夜の雨に濡らされたのであろう名も知らない植物が朝日に照らされて、煌々と輝いていた。咲き場所を選ばず、ただ生きているその姿は、世間や普通という、正体不明のあやふやな価値観に縛られていないようで、とても勇しく美しい。そんな植物を、景観の為になんの躊躇いもなく、駆除してしまうことが普通のことであるなんて、果たしてそれは本当に正しいのであろうか。まあ、こんなことを口にしたら“普通じゃない人”というレッテルを貼り付けられ、これまで取り繕ってきた”普通の私”が台無しになってしまうので、黙っておくことにした。家に帰ったら夕食のたわいもない会話で話せばいい、それくらいがちょうどいいのだ。

無駄なことを考えながらも黙々と仕事をこなし、今日済ますべき仕事も全て終わった。

時計を見ると定時を少し過ぎていたので、タイムカードを切り、オフィスを出た。

随分と陽が短くなったようで、外は既に暗くなっていた。ふと、オフィスでの会話を思い出し、道端に咲く植物に目をやる。今朝の煌びやかな印象とは反対に、暗闇でそよ風に揺らされている哀愁漂うその姿が、明日刈り取られてしまうことを理解しているかのようだった。名も知らない植物に肩入れするほど善良な人間ではないが、なんだか少し悲しい気分になった。こんなことで悲しい気分になるなんて、私はもしかしたら慈愛に富んだ心を持つ聖人のような人間なのか。はたまた、ただの変わった人間、ズレてる人間なのか。”世間”や”普通”という評価基準を持って考えると、正しい答えはどうであろう。まあ、どうだっていいか。私は私の人生を生きていくことしかできないのだから。そうだ。今朝家を出る時の会話を思い出した。帰りの時間を連絡する予定だった。私は鞄から携帯を取り出し、電話を掛けながら駅まで歩いた。

「あ、もしもし?今から帰るよ」

「分かった、気をつけてね。ご飯用意しておく」

「ありがとう、なんか買ってく?」

「ううん、特に大丈夫かなー」

「分かった、もう電車乗るから切るね」

電車の扉が閉まりそうだったので、返答を待たずに電話を切ってしまった。

私は窓際の位置に立ち、大体時速80kmで流れる景色を眺める。今朝の景色の逆再生。例によって、気が付けば降車駅。電車の扉が開くと、人々が一気に溢れ出す。ついさっきまで静かだったホームが、途端に人々の雑踏で騒がしくなる。

改札を出たところに月変わりで商品が変わるスイーツ店があって、今月はちょっと有名なパティスリーが出店しているようだ。特に買って帰るものはないが、なんとなく立ち寄ってみた。色とりどりのケーキが並ぶショーケースの中で隅っこの方に、あまり売れてなさそうな真っ黒なケーキがある。

「これ、なんのケーキですか?」

「黒ごまのムースを使用したケーキになります。お土産ですか?でしたら、こちらのフルーツタルトも人気がございますよ」

明らかに見栄えのいいフルーツタルトには人気No1というポップが貼られている。

「そうなんですね。じゃあ、この黒いケーキを2つ下さい」

「畏まりました」

他とは違うものを選びたくなる癖は昔からだ。天邪鬼な部分があるとか、そういう訳ではなく、“普通”ではないものを認めてあげたくなってしまう。

それに黒は好きだから。何にも染まらない色。

「ありがとうございました!」

特に買う予定のなかったケーキを受け取り、家までの帰路に着く。

今朝小学生が侵略していた女神様の住む水溜りは、すっかり枯れてしまったようだ。

何気ない風景であっても、それらは全く同じ瞬間なんて一度も訪れない。その変化を見つけて、身勝手な物語を考えてみたりするのが好きだ。そんなこんな頭の中で小さな女神様の住む水溜りの物語を執筆しながら歩いているとあっという間にマンションの前に着いていた。小ぶりのケーキが二つ入った手提げを傾けないように気をつけながら、玄関を開けた。

「ただいまー」

少し間を開けて彼女がリビングから小走りでやってきた。

「おかえり。お疲れ様。あと5分で夕飯できるからもう少し待ってね」

夕飯の準備で忙しそうな彼女はそそくさとリビングの方へ戻っていく。

その後姿を見て、この光景が特別にならないようにと願った。今日は私の普通の一日、明日も普通の私でいられるように。

 

あとがき

「普通」

この言葉を聞くたびに、太宰治の残した「世間とは君じゃないか」という言葉が脳裏をよぎる。”普通”や”世間”そんなあやふやな価値観は、実のところ個人的な経験や知識から形成された、至極主観的なものさしである。これらを普遍的な真理のように振りかざすことが、果たして普通であるのだろうか。普通や世間という言葉は非常に便利な言葉であることには間違いない。けれど、その言葉は使い方や受け取り方によっては非常に差別的であったり、高圧的な言葉にもなる。もちろん「私はこれは普通とは思わないからマナーやルールを守らない」というのはお門違いであって、ある一定の社会規範を守った上で成り立つ普通や世間、というのは実のところ人によって大きな差がある。好きな食べ物や、好きな色が違うように。だから、普通であることが絶対の正義である、ということほど曖昧であると僕は思っていて、じゃあその普通というのはどういったものかを説明できるかというと、数値化できるものでもないし、実際かなり難しい。

ファッションにおいても、普通の服などといった表現をよく耳にするけれど、人によってそれは異なる。まあ、一応ファッションを仕事にしているのでベーシックで当たり障りのないシンプルな服という、その言葉に含まれた意味の理解はもちろんできる。ただ、それが普通の服の定義というなら同調はできない。僕が思う普通の服というのは、その着用者の何気ない日常や、ジェンダーに自然に馴染んでいて、その人自身の気持ちを向上させられる服。だから今回のSS23は、一人の人間の何気ない日常の中で見えてくる景色や、ちょっと心を動かされたような出来事を描いていて、何気ない日常からインスパイアされたデザインで展開した。ここで完全にフィクションの人間像を作ってしまうとそれはリアルな普通ではなくなってしまうので、一人の人間の1日というのはほぼ僕の話ですが(笑)。

それと僕が今回のコレクションに込めたメッセージがもう一つ。「やりたいこととかはあるけど、自分は特別な能力もないし普通だからできない」と相談されることが過去何度もあって、そんな人たちに向けたメッセージ。普通の人っていうのは、おそらくこの世に存在しない。綺麗事のように聞こえるかもしれないけど、他人から見れば全員が特別である。普通や世間という目に見えない規範に自らを縛り付け、無意識のうちに萎縮してしまっているのだと思う。人を傷つけるようなことは良くないけれど、自分の率直な意見や、表現欲には素直に向き合って、自分だけの普通を見つけて欲しい。特別に見える人たちは、自身の普通と向き合い、受け止めることでオリジナリティを見つけ、輝いているんだと思います。僕はファッションデザイナーとして、僕の普通と向き合い、表現することで、他者にとっては、もしかしたら特別と思ってもらえるのではないかと考え、身をもって伝えたいと思い、今回のコレクションに挑んだ。

僕じゃない誰かの特別な毎日の、特別な一着になってもらえたら嬉しいです。