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わたしの世界には色がない。

わたしは幼い頃から今日まで、〝普通〟という言葉に違和感を覚えて生きてきた。少しでも違うことをすれば、

人々はそれらの言葉を振りかざし、干渉し、弾圧をしたがる。〝普通〟を演じる程、自分が窒息して消えていく。

生を授かることを誰かに懇願した覚えなんてまるっきりない。

残酷なのは、他人の期待に応えようと惰性で続けてきてしまった今日までの二十数年に、

それなりの愛着が湧いてしまったことだ。他人に色付けられる塗り絵のような日々が人生というものなのだろうか。

わたしの願いはただ一つ。好きなように生きて、好きなように死んでいくこと。たったそれだけのことである。

責任なんて、そんなものを背負った覚えはない。

だったらわたしに自我を持たせた責任は一体誰が背負ってくれるのだろう。

もう、すべて解き捨ててしまえばいい。

きっとこの世界には、孤独以上の自由はない。

この街に二十数回目の冬がやってきた。

びっしりと敷き詰められたコンクリートと人々がAの瞳を雑多に通り過ぎる。

いやに人工的な配列のビル、夢を唄う夢のないメロディ、何かに追われるかのように急ぎ足の人々。

全てがモノクロ映画のようだ。スクリーンに映し出されたモノクロ映画には、観る人々にその情景の色々を夢想させる自由の美しさがあるが、この街は全くその逆で、全てをモノクロにしてしまう恐ろしい力を持っている。Aもそんな映画の脇役なのだろう。Aはいつものように普通を演じながら新宿駅の雑踏を歩いている。

特別に辛いことや悲しいことがあったわけではない。

ただ、灰色の塵が長い年月をかけて積もりに積もってAを飲み込んでしまいそうなのだ。

〝普通〟を演じることで、凡人的でいることしかできないAが、突拍子もなく夜の海を見に行こうと電車に揺られているこの光景は、

A自身の中では大事件なのである。そんな脇役の個人的大事件も関係なく、逗子行きのこの鉄塊はいつものように無愛想に乗客を運ぶ。

Aは目的地の駅で降車すると、靴紐が解けている事に気が付いた。

Aは解けた靴紐をきつく結ぶ。きつく結んでおかないと、Aは靴を脱ぎ捨て何処かへ飛んで行ってしまいそうな気がするのだ。

この紐はAを縛る鎖なのだ。

目的地までの道地、路地裏に無造作に散っている花を見つけた。全ての花が満開の花弁をつけることができるわけではない。

誰に知られることもなく、花弁をつける前に、又はその半ばで散っていく花々だってある。むしろその方が多いのではないのだろうか。

満開の花弁を咲かせ、咲き誇ることを成功とする世間の風潮は何よりも残酷で身勝手な話だ。満開に咲き誇ることだけが美徳ではない。

寧ろ、鮮やかに彩る花弁というものは、曖昧な正しさであり、自らを縛る鎖や足枷なのかもしれない。

一分咲きでも満開でも、色付いた花弁を、如何にして散らしていくか、如何にして還していくか、その過程にこそ真の美しさが秘められている。

 

考えに耽っていながら歩いていると風に乗る潮の香りに気が付く。予定よりも少し早く着いてしまった。元より予定なんてものはないが、夕暮れ時の海のことなんてこれっぽっちも考えていなかったので、眼前に広がる予期せぬ鮮やかな光景を目の当たりしたとき、少々尻込みしてしまった。東の空は鉄紺色に染まっている。もう一方の空は、迫り来る鉄紺色に飲まれまいと金色や朱色に燃え盛っている。途方もなく続く巨大な水面鏡が、十分に海水に満ちた砂浜が、色即是空の陣取り合戦を映していた。Aは身長の数倍はありそうな流木に腰掛けて、その合戦の様子を眺めていた。日曜日の割に、予想していたよりも人の少ない海岸には、気が付くとA一人になっていた。〝普通〟の考えだと、人々は近隣にある名の知れた海岸に行くのだろう。

 

あたりは深い闇に包まれていく。

ついさっきまで繰り広げられていた陣取り合戦はあっという間に終戦し、どこを見渡しても境界線のない闇に包まれている。

闇の中、わたしの白いシャツが敗戦の白旗のように風に揺られている。

 

薄っすらと、どこからともなく不均一に白い線が現れては消えていく。きっとあの辺りが波の墓場なのであろう。

わたしは深い闇に誘われるように波際まで歩いた。

音が聞こえる。

荒々しく雑多に迫ってきたと思えば、わたしのことなんて知らぬふりをして逃げていく。

わたしには関係のない、とても心地よい、そんな音。

蠢く夜の闇の向こう岸に、不自然に踊る光の粒。

わたしがいてもいなくても、それはきっと踊り続けるだろう。

だとすれば、わたしには息を切らしてまで踊る理由は見当たらない。嘲笑するように踊るあの光は毒なのだ。

ふと足元を見ると、靴紐が解けていた。

辺りにはいびつに割れた色とりどりの貝殻や、どこかの国の言葉が描かれたガラス瓶・半端に干からびた海藻が点々と落ちている。

それらに紛れるように、無表情に輝き続ける耳飾りや、重く冷たい指輪、わたしの花弁を一つ一つ散らしていった。 

つんざくような冷たさだ。

いや、これは温みなのかもしれない。解らない。

いつかの冬の夜に、身体に触れる冷えた指先を思い出す。

その震える指先こそは冷たいが、熱く慈愛に満ちていた。兎にも角にも、わたしの身体は心酔しそうな感覚に支配されていく。

充分に水を含んだ淡い色のジーンズが裾から段々と黒く染まって、歩みを進めるわたしの脚に鎖の様に絡み付く。

姿も声も知らない父親が残していった最初で最後の父娘の証明。

それからというもの、わたしは見たことも会った事もない父の姿を夢想し、幻想の中で追いかけ続けていた。

わたしには少し大きいこの古ぼけたジーンズこそがわたしの最後の足枷なのだ。

Aは引き裂くようにそれを脱ぎ捨て歩みを進める。月明りの下で波に揺れる海月のように彼女の足枷は深深とした闇の中に姿を消していった。

わたしに染み付いたモノクロの様々が闇に溶けていく。

なんて心地がいいのだろう。きっと溢れ出しているであろう涙も汚れた塵で灰色に染まっていて、徐々に透徹していくのが分かる。

悲しいのではない、幸福なのである。

幼子に還るように段々と小さくなるその影は、やがて深い夜の一片となった。

境界線をなくした深い闇は、何事もなかったかのように再び波の音を響かせる。

ここは温かく、光も音もない。

何故だか、遠い昔にいたような気がする場所をぼんやりと思い出した。

 

わたしは今、無垢に輝く真珠の様に美しいだろう。

 

僕は泣きながら目を覚ました。

夢を見ていたようだ。正確には憶えていない。

何故涙を流していたのかも解らないが、その夢はどこか懐かしくも幸福感に包まれた夢であった。

重い身体を起こして、結露した窓に滴る一滴の雫が落ちるのを見届ける。透明に描かれたその導の先には始まりを知らせる真っ白な朝陽が見えた。

「海に行こうよ、今日」

僕は独り言のように問いかけた。隣に眠る彼は寝ぼけながらも曖昧な返事をする。

Text

Ikuto Kitamura

Illustration

​Saeko Ishii

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